・眞臺寺(真台寺)
松阪市新町にある、明鏡山聖徳院。
真宗高田派専修寺の末。
創立の年暦は明かでないが、
元は天台宗で一志郡松ヶ島に古くからあった。
元和三年丁巳の年(1617年)、
京都 日野内光 卿の子、意俊法師が、
松阪に移し、
専修寺第十二世 堯恵上人の弟子となり改宗。
よって意俊法師を開基とする。
宝永元年(1704年)慈暁院理門上人が本堂を建立。
享保元年(1716年)火災に遭い、
本堂及び記録などを焼失。
その後、間もなく檀家の力を集めて本堂を再建。
今日に至る。
現在は眞臺寺第十五世が住僧を務める。
※赤須真人
眞臺寺第四世白延、赤須真人。享保元年の火災の時の住僧。
と、記載する書があるが、赤須はこの火災のあった享保元年の生まれ。実際のところは不明。
名は猛火。火災の時生まれた為か。
一説には母が不動明王の夢を見て身籠ったからという大強勇の人だったと伝わる。
仏学、儒学、詩文に優れ詩集七巻がある。
・太子堂
眞臺寺の表門入り口右側に太子堂がある。
本尊は聖徳太子の立像を安置。太子の自作と伝わるが、疑問である。
昔、飯高郡神戸に宝延寺という名刹があり、
ここに一体の聖徳太子立像が伝わっていた。
行基菩薩の多年崇敬護持せる物という。
この寺に太子像が安置されていたが、後の世になって兵火に罹り、一山焼失。
仏像も諸所に離散し、この太子像も俗家に奉置されていたのを
近くの有縁の寺に移さんと、みくじを引いたところ、
三度とも眞臺寺の名が出たので、これはまさしく太子のお告げなりと
当寺へ別堂を建立し安置したものと伝わっている。
その後この太子像は学問、建築の神様として人々の崇拝を受け、
今日に至る。
昭和六十年七月
聖徳太子奉賛会